resource から logically paired actions へ

メモリが resource としてあまりにもありふれているのは確かだし,それを GC という形で言語として特別視するのはそれはそれでありだろうとは思うんだけれど,個人的な感覚では (resource の扱いという文脈から見ると) GC の advantage は specific だよにゃー,と感じる (だからといって,その advantage を全否定する気はもちろん無い).
っていうか resource っていう言葉・概念はもっともっと radical に抽象化されてもよい言葉なんじゃないかなーと思う.それこそ resource の獲得と解放を「論理的に対となっているプログラムの状態 program state の変化 (actions)」にまで抽象化して, resource の所有権を「その対になっているプログラムの状態変化の片方を発動する権利」ぐらいに解釈して.
ここまで抽象化したら,たとえば対になったプログラムの状態の変化を具体的に do と undo とすれば transaction の概念にもつながったりして,それこそメモリ以上にありふれたもので,かつ極めて汎用な概念になる気がするんだけどどうかにゃー.