右辺値参照と move semantics の introduction

はわわ〜
でも, string の + だと (文字列長が毎回変化するので) 結局毎回 allocation かかって move の良さは顕著には現れないよ〜な.やっぱ std::vector とか, move が使えるアルゴリズムとか,マルチスレッドプログラミングでのインタフェースデザインとか,コピーはできないけれど move はできる class とか,そういうのを持ち出してこないと move の advantage がはっきり出てこないよ〜な.
ということは,もう実際に Yanofsky 氏のヤツあたりで色々実用レベルの move-aware な汎用ライブラリ組んで遊び倒すしかねーじゃん,っていう.っていうかこの Yanofsky のヤツ,すでに相当の完成度に達してるよにゃー. GCC4.30 の experimental な拡張モードとして merge されるとかされにゃいとか.

ConceptGCC で遊びましょ♪

っつーか, C++0x で遊び倒すなら ConceptGCC の方がえーんちゃうん?ってゆー. SVN リポジトリのヤツだと concept 他, decltype, rvalue reference, variadic templates がすでに merge されててえらいことになってるし (参考). x86-64 だとコンパイルこけるっぽいけれど,まー x86 で遊べたら十分だし.
ただ,イマイチ安定していなくてコーディングする際に試行錯誤しないといけないのが難点だにゃー.あと, concept のチェックがシビアだからそれも比較的しんどい. late_check で逃げることはできるんだけれど.

世界の半分がやさしさでできていたらにゃー

http://anond.hatelabo.jp/20070224120207
世界っつーのは,努力したら報われるとか,ましてや才能があるから報われるとか,そういうやさしさではできてないからにゃー.バファリンと違って.一番キツイ言い方だと「結果を出せないということは,少なくとも第3者から見れば何もしていないのと同義.これすなわち,少なくとも第3者から見れば努力していない・才能が無いのと同義」.逆に,努力したから報われるべきとか,才能があるから報われるべきとか,そういうのがまかり通るとするならば,そういう世界こそやヴぁいよね.努力や才能っていうのは,その結果でもって推し量る以外に客観的な指標が存在しないから,「俺努力したよ」「俺才能あるよ」なんて言いたい放題だし.まぁ,結果を客観的に評価するっつーのもまた難しいけれど.
これ自分自身への言ね.

努力が結果につながる理想的な世界

中学,高校,まぁ大学の初等課程ぐらいまでの世界ってすごい理想的な箱庭で,ある意味すげー楽しい世界だよにゃー,ということをたまに思う.努力したら,その努力をかなり直接的に反映して明示的な結果が定量的に出る世界なんだから.
問題はその世界の住人の多くが,その世界の面白さに気が付いてない点.「なぜ勉強しなきゃいけないの?」とか言ってる場合じゃないって!努力したらだいたい報われるという事実がいかにありがたいことか.課せられた問題に常に解答が存在するという事態がいかに安心なことか.もちろん,そういうことに面白さが見出せなくてもそれはそれで別にいーんだけれど.ただ,他にすることがなければその面白さに乗っかるぐらいはしても悪くはないよ〜な?まぁ,その世界を卒業するとほとんど通用しなくなる世界観・価値観ではあるんだけれど.
勉学それ自身が好きなだけで,あとは完全にマイペースで微塵の努力もなかった自分がこんなこと書いても説得力のかけらもねーな.